癒えない悲しみ
20年間一緒に生活していた愛猫が天国へ旅立ってしまった
今年に入ってからヨボヨボ具合が増していたが2019年11月20日からついに歩けなくなり寝たきりに
それから居間で母親と過ごしていた
そして11月22日(良いにゃんにゃんの日)
17:05に母親からLINE着信していたがマナーモードで気づかず
偶然にも17:10頃に起床し居間に行くと母親が「みーたんにお別れしなきゃ」という言葉と同時に泣き崩れる つられて自分も涙が溢れる
あのときの母を思い出すと今でも辛い
父親は出勤中だった
その後自分も20時前に出勤し父親に「猫はまだ生きてるか?」と聞かれ
少し沈黙したあと「死んじゃった・・・」と言うと同時に涙が溢れてしまった
母は仕事中の父親には伝えなかったんだなと
その日はお客さんになにか注文を受けても上の空で二度手間を連発してしまいもうしわけなかった
帰ってからも寝ようとしても元気だった頃の姿を思い出したりスマホに残ってる動画を見てしまったりで全くねれずひさびさに睡眠導入剤を服用して就寝
土曜も何度も思い出しては無気力感に襲われる それでも呼び出しがあったので19時前に出勤 またも上の空でやるべきことに気づかず申し訳なかった
夜結局ねれず11月24日6時から8時半頃まで寝たかな? 母親の起きなさい!の声で目が覚める
9時より両親と市の斎場へ 姉もここで合流 手続きを済ませ
重さを測定(ダンボールやタオル混みで3.1kg) 全盛期は3.6kgくらいあった記憶があるのにやっぱり痩せてしまっているね・・・
母はみーたんが本当に幸せだったんだろうかなどと自問自答していたが家族みんなでかわいがっていたし特に母親は早朝に起こされてはご飯を作ってあげたりおしっこやうんちの世話もしっかりしてあげていたし
避妊 外出中の左前足の怪我(この時二週間くらい帰ってこなくて失踪したかと思った) あとは左頬のかぶれ? の三回しか病院に行かなかったし21歳まで到れるつくせりだったから幸せだったと断言できると自分は思ったのだが。。。
iPhoneのカメラロールに撮り貯めたみーたんの写真を みーたん というアルバムにまとめたがカメラロールを開くたびにそのアルバムが目に入って切なくなる
まだ家に来る前の父の塗装業の現場の頃の写真
鼻水が固まって鼻が黒くなっているし家に来た頃はとても匂いがキツかったのを覚えている
そして旅立って一時間くらいの18:51の写真
寝ているだけのようなのに・・・
旅立った日(11月22日金曜日)の夜には姉も実家に帰ってきていてみーたんをなでなでしてしていた
みーたんの首には何年もしていなかった首輪がつけられていた
そして居間には今も生前最後に食べていたご飯が
台所にはみーたん用の水が置いてある
どちらも母が置いたものだが意図はわからない
何回見ても悲しいとしか言えない
思い出してはためいきの毎日である
11月13日にはまだベランダに出て外に身を乗り出すくらいには動けていたのに・・・
このときのベランダでの動画 撮影していて本当に良かった
後ろ足が本格的に機能しなくなってから寝たきりになりそこからが早すぎて
わかってはいたのに・・・
今はこのiPhoneに撮り貯めた画像や動画合わせて102個を母親に みーたんの動画見る? と聞くタイミングを伺っている状態
寝れない時にペットロスについて調べたりもしてしまったが無理に忘れようとせず思い切り悲しむといいらしいですね
25年くらい前にみーたんの前の猫ちゃんを亡くした時母は
私も一緒に死ぬ! や もう二度と猫なんて飼わない等のかなりキツいショックを吐き出していたがそのときに比べると少しは耐性がついたのかな
ヨボヨボしながらも歩けていたのでなんやかんやでもう一年くらい生きるだろうと希望をいだいていただけに本当にショックである
外から帰宅すれば即みーたんがいる場所(居間や寝室の金庫前)を探して 今日もかわいいな ふふふ というのが習慣だったし 流石に自室に入ってうんちやおしっこをされると困るので戸締まりを気にしていた毎日だったがその必要もないのすら悲しい
会社をやめて以降社会不適合者になってしまい親孝行らしい親孝行はできていないが
親より長生きするのが何よりの親孝行だよ と昔母に言われたがたしかにそれはあるかもなぁと思った ペットですらこの悲しみなんだから
それだけは遂行しないとな と改めて思った
社会不適合者でありながらも社会に出てからの毎日は早いものであの出来事は何ヶ月前だっけ?と思い出せないことが多々あるのでこれからちょっとしたことでもこのブログに書いていこうと思います